四柱推命/四柱推命「鑑定の実例」荻野吟子

四柱推命の鑑定実例

 ここでは、四柱推命を用いた鑑定の実例をご紹介します。
 四柱推命を用いると、大運という10年単位の人生上の大きな運の流れと、年運という1年単位の細かい運勢が割り出せます。それぞれ、大運干支、年運干支を割り出し、元々の命式にこれらが加わった時の影響を見ていきます。

荻野吟子

荻野吟子

PROFILE

荻野吟子(1851~1913)……日本で最初の公認女性医師。医師としての開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献する。昨今では、映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」がブームを呼ぶ。また、「埼玉県荻野吟子賞」は、男女共同参画の推進に功績があった個人や団体に贈られる賞である。

 荻野吟子が生まれた嘉永四年(1851)三月三日を、現在のグレゴリオ暦に換算すると、1851年4月4日生まれとなります。
 また、荻野吟子は出生時間が不明なので、日主が庚の時に時柱になりえる13種類の干支(丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰・辛巳・壬午・癸未・甲申・乙酉・丙戌・丁亥・戊子)の可能性を考えて鑑定しなければなりません。とはいえ例外的に、この生年月日の場合は例えどんな時柱干支が巡っていても、おおよその五行バランスは決まってくるので、鑑定が可能となります。
(生年月日によっては、五行バランスがわからず、細かく鑑定をしていくことができない命式もあります)
 この情報を元に、命式を作成すると次のようになります。

荻野吟子の四柱干支

時 柱 日 柱 月 柱 年 柱
十 干
十二支

看 命

格局/財格 用神/通根(金の十二支=申・酉) 忌神/木・火

 この命式は、時柱不明ではあるものの、天干には辛・辛・庚と金の五行が揃い、地支には亥・卯・寅があり、この時点で東方合半会と三合木局半会が揃い、木の五行が非常に強まっています。この命式の場合、時柱にどんな干支が巡っているとしても、木の五行が最も強くなります。
 天干には金が揃っていても、地支に通根がなければ、金の五行は強いとはみなしません。庚日生まれの場合、金を通根させる申酉の十二支が巡る時柱干支は「甲申」と「乙酉」ですが、この場合、甲・乙という木の十干が天干に出て、この命式の木をさらに強めてしまいます。
(乙が巡ると日主・庚と干合しますが、この命式では、乙が金に化気することは絶対にありません)

この命式を絵でイメージしてみると、次のような感じになります。

この命式を絵でイメージしてみると、次のような感じになります。この命式を絵でイメージしてみると、次のような感じになります。

 この命式のイメージは、「植物の草むらの上にある宝石がくっついた鉄塊」です。
 日主が「庚」(かのえ)の人は、剛毅で果敢、常に物事の白黒をハッキリさせようとするタイプです。この命式のように、天干に日主と同じ五行である比劫が2つあり、かつ日主の通根が弱い命式を「比肩三比」といいます。(もしも時干が庚か辛なら「比肩四比」)人が良くて、例え自分が損をしても仲間や同士の為に生きるような性質を持ちます。また、地支は財の木の五行に占められています。財はその人にとっての理想や目標意識、場合によっては野望や欲望などを表しますが、荻野吟子の場合は、同士である女性を助けるために医者になりたいという強い目標意識の表れになっていると、考えて良いでしょう。

荻野吟子の一生の運勢の流れを検証してみます。

荻野吟子の立運は0歳4ヶ月となり、ここから10年ごとに運気の流れが変わっていきます。

0歳4ヶ月~10歳3ヶ月

  • 干支

    壬辰 壬 ― 食神 / 辰の蔵干(温度・普通) 
    乙 ― 正財・癸 ― 傷官・戊 ― 偏印 (東方木運)

  • 五行・命式との関わり

     水の五行が巡るも、木の五行が非常に強まります。

     「壬」は水の五行の働きですが、「辰」が巡ることで、寅・卯・辰の完全東方合が成立し、木の五行が非常に強まることになります。
     木の五行の財の象意である目標意識というものが強まり、目標を叶える努力の星である「壬」の漏星も巡っていて、命式は弱まっています。エネルギー的には消耗しやすいですが、学問に打ち込むにはとても良い時期です。

  • 検証

     代々、苗字帯刀を許された名主であった荻野家の末娘として生まれ、「女性には学問は不要」という考え方が当たり前だった当時には珍しく、少女時代は好きなだけ学問をさせてもらえたという。

10歳4ヶ月~20歳3ヶ月

  • 干支

    癸巳 癸 ― 傷官 / 巳の蔵干(温度・普通)戊 ― 偏印・庚 ― 比肩・丙 ― 偏官 (南方火運)

  • 五行・命式との関わり

     水の五行と火の五行が強まります。

     「癸」は弱い水の漏星の作用をし、「巳」は基本的に火の官の作用です。(ただし時柱に戊・己があれば、土の根の作用ともなります)巳は年柱の亥と冲するも、亥の水の力量は弱いのでさほど作用を受けません。この命式のあり余る木の財で火の官が強められるので、役割意識をともなう変化(例えば結婚)と読むこともできます。

  • 検証

     17歳(戊辰年)埼玉県上川上村(現在の熊谷市)の名主の長男である稲村貫一郎と結婚する。
     19歳(庚午年)夫から性病をうつされ協議離婚、その後、大学東校附属病院に約2年間入院する。婦人科治療の医師が全て男性で、診察のたびに羞恥心に苦しむ。この体験から、同じ羞恥に苦しむ女性を救いたいという強い決意をし女医を志す。

20歳4ヶ月~30歳3ヶ月

  • 干支

    甲午 甲 ― 偏財 / 午の蔵干(温度・普通)丙 ― 偏官・己 ― 印綬・丁 ― 正官 (南方火運)

  • 五行・命式との関わり

     木の五行と火の五行が強まります。

     「甲」は木の五行で、この命式の十二支に強力に通根する。「午」は火の五行の働きとなります。(ただし時柱に戊・己があれば、土の根の作用ともなります)あり余る木の財により火の官が強められ、目標意識(財)に役割意識(官)がともなってきます。特に戌年は、寅・午・戌の三合火局が成立するので、この傾向が強まります。

  • 検証

     22歳(甲戌年)東京に上京し、国学者・井上頼圀(よりくに)の神習舎に入門。井上に師事する。
     23歳(乙亥年)内藤満寿子の甲府女学塾に助教として招かれ、甲府へと赴く。
     24歳(丙子年)女子高等師範学校に入学。28歳(己卯年)女子高等師範学校を首席で卒業。東京の私立医学校・好寿院に特別に入学を許され、男子学生からの様々ないじめに遭いながらも、優秀な成績で修了する。しかし、女医の前例がないことから、東京府に医術開業試験願を提出するも却下、続いて埼玉県にも提出したが却下された。

30歳4ヶ月~40歳3ヶ月

  • 干支

    乙未 乙 ― 正財 / 未の蔵干(温度・普通)丁 ― 正官・乙 ― 正財・己 ― 印綬 =完全三合木局(南方火運)

  • 五行・命式との関わり

     木の五行が非常に強まります。

     「乙」は木の五行で、日主・庚と干合するも、化金することはなく、むしろ強力な木である乙が日主のエネルギーを吸収します。目標に向かってエネルギーが尽きるまで無我夢中になる象意です。また、未は命式中の亥・卯と結びつき、亥・卯・未の三合木局となります。目標のみに向かってまっしぐらの時期です。そして、年運の十二支に用神の申・酉が巡った時、その念願の目標を達成しています。

  • 検証

     33歳(甲申年)「女医公許」が決定し、医術開業試験の受験が認められる。前期試験を受験し、たった一人合格する。
     34歳(乙酉年)後期試験も受験して合格。湯島三組町に診療所「産婦人科荻野医院」を開業、近代日本初の公許女医となり、新聞や雑誌で「女医第一号」として大きく扱われる。
     35歳(丙戌年)診療所が手狭になったため、下谷に移転する。
     39歳(庚寅年)16歳年下の敬虔なキリスト教徒であった志方之善(しかた ゆきよし)と周囲の反対を押し切って再婚する。

40歳4ヶ月~50歳3ヶ月

  • 干支

    丙申 丙 ― 偏官(月干・年干の辛と干合) / 申の蔵干(温度・普通)壬 ― 食神・庚 ― 比肩(蔵干・戊は作用しないので、省略してあります)(西方金運)

  • 五行・命式との関わり

     丙は月干・年干の辛と干合するも、化水はしません。弱い火の官として作用します。申は日主・月干・年干の強力な根となり、結果的に金の五行が強まります。

     待望の用神の申が大運に巡り、自分の力を大きく活かしやすい時期となります。

  • 検証

     40歳(辛卯年)新婚生活は幸せなものであったが、夫の之善はキリスト教徒の理想郷をつくるという信念から、北海道へ単身渡る。
     43歳(甲午年)吟子も北海道にいる之善の元へ渡り、夫とともにキリスト教による理想郷建設を目指す。
     46歳(丁酉年)北海道の瀬棚で、診療所を開業する。この年、之善の姉の子トミを養女とする。

50歳4ヶ月~60歳3ヶ月

  • 干支

    丁酉 丁 ― 正官 / 酉の蔵干(温度・普通)庚 ― 比肩・辛 ― 劫財 (西方金運)

  • 五行・命式との関わり

     丁は火の官として作用します。酉は日主・月干・年干の強力な根となり、金の五行が非常に強まります。

     待望の用神の酉が大運に巡り、自分の力を大きく活かしやすい時期となります。

  • 検証

     52歳(癸卯年)札幌に転住し、医院を開業する。
     53歳(甲辰年)大病を患い、熊谷に住む姉の友子のもとで療養する。
     54歳(乙巳年)病状が回復ししばらく東京に住まうも再び大病をする。その後、北海道の瀬棚に戻る。夫の之善が逝去。
     57歳(戊申年)東京に戻り、本所区新小梅町に医院を開業し晩年を送る。

60歳4ヶ月~70歳3ヶ月

  • 干支

    戊戌 戊 ― 偏印 / 戌の蔵干(温度・普通)辛 ― 劫財・丁 ― 正官・戊 ― 偏印 (西方金運)

  • 五行・命式との関わり

     戊は土の印の働きをします。土の印は埋金の作用をしやすいのですが、この命式は木の財が多いので、そのようにはなりません。戌は木の卯と支合し弱まります。(もしも、時柱に午があった場合には、戌は寅・午と三合火局して強力な火と土の作用となります)

     前述の申・酉は去ったものの、時柱に午がない限り、金の五行の余力は残している状態となります。

  • 検証

     62歳(癸丑年)肋膜炎に罹ったのち、脳溢血となり逝去する。