四柱推命/四柱推命「鑑定実例」芥川龍之介
四柱推命の鑑定実例
ここでは、四柱推命を用いた鑑定の実例をご紹介します。
四柱推命を用いると、大運という10年単位の人生上の大きな運の流れと、年運という1年単位の細かい運勢が割り出せます。それぞれ、大運干支、年運干支を割り出し、元々の命式にこれらが加わった時の影響を見ていきます。
芥川 龍之介
芥川 龍之介
PROFILE
芥川龍之介(1892~1927)……日本を代表する小説家。古典的な教訓からの題材が多く、人の心をえぐるような鋭くて生々しい文体が特徴。代表作に「羅生門」「地獄変」「河童」「蜘蛛 の糸」「藪の中」などがある。
親友である菊池寛が創設した「芥川賞」は、芥川龍之介にちなんで作られたものである。
芥川龍之介が生まれたのは、明治二十五年(1892)三月一日の辰の刻(午前7時~9時)と言い伝えられています。この情報を元に、命式を作成すると次のようになります。
芥川龍之介の四柱干支
時 柱 | 日 柱 | 月 柱 | 年 柱 | |
---|---|---|---|---|
十 干 | 甲 | 壬 | 壬 | 壬 |
十二支 | 辰 | 辰 | 寅 | 辰 |
看 命
格局/食神格 用神/庚
喜神/金 忌神/木・土
この命式は、かなり特殊なものです。日主と月柱上段、年柱上段には、ずらっと「壬」(大海の水)が並び、「比肩三比」 の構造となっています。自分の中のこだわりが強く、常に回り道をしやすい傾向を持ちます。
時柱上段の「甲」(大きな樹木)があって、地支(四柱干支の下段)には「辰」「寅」「辰」「辰」と十二支が並び、東方合半会をしていて、木の五行も非常に強いです。
しかしながら、この命式の鑑定の大切な見極めは、3つある十二支「辰」の属性の正体です。
「辰」は最も見極めが難しい十二支であり、「土」「木」「水」の五行属性を持ちます。まれに蔵干にはない「金」の五行属性を持つこともあるほどです。
この芥川龍之介の命式は、寅月(2月)の「木」が当令しながらも寒い生まれで、命式中には水の勢いが強いことから、この3つの辰は「木」と「水」の2つの属性を持った泥のようなイメージで、この状態では「土」の五行の機能はしません。
この命式を絵でイメージしてみると、次のような感じになります。
この命式のイメージは、「大樹のそばの大河」です。
日主が「壬」(みずのえ)の人は、常に人間関係において先読みして、頭を働かせているタイプです。勝ち負けにこだわりやすい知恵者です。また、辰の泥が水に混じりやすく、考えすぎて、自分の世界から抜けられなくような傾向を持ちます。
芥川龍之介が親友に送った手紙の中で示した自殺の動機は、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」というものですが、考えすぎることによる不安とも取れなくはありません。
徳川家康の四柱干支
時 柱 | 日 柱 | 月 柱 | 年 柱 | |
---|---|---|---|---|
十 干 | 壬 | 壬 | 甲 | 癸 |
十二支 | 寅 | 寅 | 寅 | 卯 |
この命式を絵でイメージしてみると、次のような感じになります。
どちらの命式も、水と木の五行によって形成された「食傷大過」の命式で、非常に多くの似ている特徴を持ちますが、徳川家康の命式は、日主の水の力量が木に吸い取られて、大変弱まった状態であるのに対して、芥川龍之介の命式は、3つの「辰」は木と水が合わさった泥のような状態となり、徳川家康の命式のように、完全に木属性とはなりません。
この芥川龍之介の命式は、「卯」の十二支が巡ると、寅・卯・辰の完全東方合となり、一転して完全な食傷大過の命式となります。
概して人との協調性のある方ではなく、また風呂に入るのが大嫌いだったと言います。命式は、自星と食傷に占められていて、表現者や芸術家には向きますが、性格は社交性がある方ではなく、関心事はあくまでも、相手よりも自分にある、という傾向になりやすいと言えます。
水木の食傷大過の命式の用神は、基本的には金の印星ですが、食傷大過の命式の多くは、例え身弱の命式であっても、財が巡る時に、人生の結果が出やすいという傾向を持ちます。ただし、身弱の食傷大過にとって、財が巡る時期はどうしてもエネルギーは消耗しやすい時期なので、注意する必要があります。(前述の徳川家康は、大運で財が巡った時期に天下を完全に掌中におさめています)また、身弱の食傷大過の多くは、印星が用神になりやすいのですが、印星が巡る時は精神的な安定は得られやすいものの、必ずしも大きな結果を出す時期にはならないようです。
- この命式にとって、最も良い影響を与える五行は、通常であれば、金の五行となります。
- 水の五行が巡る時は、忌神の木の五行も強くなって「身旺の食傷大過」に変化しますので、気まま我がままになりやすく、周囲を疲れさせます。
- 土の五行(官)が巡ると、木の五行(食傷)と対立して、心の葛藤を起こしやすくなります。
- 火の五行が巡る時期は、エネルギーの消耗の激しさと頑張ってきたことが実を結びやすい両極端の時期となります。
芥川龍之介の一生の運勢の流れを検証してみます。
芥川龍之介の立運は1歳4ヶ月となり、ここから10年ごとに運気の流れが変わっていきます。
1歳4ヶ月~11歳3ヶ月
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干支
癸卯 ― 傷官 / 卯の蔵干(温度・低)甲 ― 食神・乙 ― 傷官 (東方木運)
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五行・命式との関わり
癸の影響で水の五行が強まるも、寅・卯・辰の東方合で木の五行が驚異的に強まる。
「癸」は、水の五行を多少強めますが、「卯」は寅・卯・辰の東方合を成立させ、食傷大過を一気に助長させます。(この期間は、金(印)が用神となり、学問が開運の鍵となります)
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検証
母親・フクが龍之介が生まれて間もなく、精神に異常をきたした為、フクの実家の芥川家に預けられ叔母である フキに育てられる。母親のフクは11歳の時に死亡。中学校を卒業する際「多年成績優等者」の賞状を受ける。
11歳4ヶ月~21歳3ヶ月
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干支
甲辰 甲 ― 食神 / 辰の蔵干(温度・低、木当令)乙 ― 傷官・癸 ― 劫財・戊 ― 偏官 (東方木運)
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五行・命式との関わり
甲の影響で木の五行が強まり、3つある辰がさらに増えることで、さらに木も強まるが、泥水のような働きとなります。
「食傷大過」が強まった場合は、一つのことに集中することで、一点突破をしやすいのですが、目的を持たないと何をするにも意識が散漫になってしまいやすくなります。
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検証
叔父である芥川道章(フクの実兄)の養子となり、芥川姓を名乗る事になった。第一高等学校第一部乙類に、成績優秀者は無試験で入学が許可される制度によって、進学する。全寮主義のため寄宿寮に入るが、最後まで順応出来なかったようだ。
21歳(癸丑年)の接木運(30年に一度の運気の替わり目)で、数人のみしか合格者を出さない大難関であ る東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。
21歳4ヶ月~31歳3ヶ月
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干支
乙巳 乙 ― 傷官 / 巳の蔵干(温度・低)戊 ― 偏官・庚 ― 偏印・丙 ― 偏財 (南方火運)
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五行・命式との関わり
乙は木の五行の働きとなるも、巳が巡る影響により火と土の五行が強まります。
乙の影響により、食傷のエネルギーが強まるも、巳の十二支の作用により、命式の3つの辰が多少土化するようになります。結果を出しやすい時期ではありますが、土の官と木の食傷の相剋によって起こる精神的葛藤に悩まされないように注意が必要です。金の五行が運を開きます。
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検証
22歳(甲寅年)の時、同人誌・「新思潮」(第三次)を刊行。処女小説である「老年」を同誌で発表し、作家 としての活動を始める。代表作「羅生門」もこの年に脱稿。また、級友鈴木三重吉の紹介で、夏目漱石の門下に入る。
24歳(丙辰年)、同人誌に掲載した作品「鼻」が、夏目漱石から絶賛される。27歳(庚申年)友人の山本喜誉司の姪である塚本文と結婚。3人の男子をもうける。
翌年(辛酉年)には海外視察員として中国・北京を訪れるが、この旅行から帰った後から次第に心身衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを病む。
(北京は東京から西30度にあたり、龍之介にとっては、暗剣殺+本命殺のダブル凶方位ともなる)
31歳4ヶ月~41歳3ヶ月
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干支
丙午 丙 ― 偏財 / 午の蔵干(温度・低)丙 ― 偏財・己 ― 正官・丁 ― 正財 (南方火運)
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五行・命式との関わり
火の五行が非常に強まります。
丙と午という強烈な火の干支により、命式の推命気温を上昇し、辰がますます土化していきます。とはいえ、火の財が巡る時はエネルギーの消耗と共に、頑張ってきたことが実を結びやすい時期ともなります。
芥川龍之介の人生は、決して自殺をして命を絶たなければいけないようなものではなく、学問や人に上手に甘えること(印の活用)を通して、よりもっと幸せなものにすることが必ずできたはずです。 -
検証
35歳(丁卯年)1月、義兄が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられ鉄道自殺する。この為に義兄の遺した借金や家族の面倒を見なくてはならなくなった。この年の7月24日未明、芥川龍之介は「続西方の人」を書き上げた後、致死量の睡眠薬を飲み、帰らぬ人となる。